博多祇園山笠とは?見どころの「追い山」って?
博多祇園山笠の名前は聞いたことあるのですが
どんなお祭りなのか実はあんまりよくわかりません^^;
博多では有名なお祭りと言われている
博多祇園山笠。
毎年7月1日~15日に行われるお祭りですが
その博多祇園山笠とはについて調べてみたいと思います。
それから
お祭りのラストを飾る「追い山」の
迫力にも迫ってみます~♪
博多祇園祭山笠とは?
祇園祭は、京都の平安京で始まりましたがその後地方にも伝えられていきました。
その祇園祭の一つが
博多祇園祭山笠です。
博多祇園祭は
櫛田神社に祀られている、素戔嗚尊に奉納する祇園祭。
鎌倉時代に始められたといわれ
今では博多を代表するお祭りの一つになっています。
博多祇園祭山笠には
いろいろな特徴がありますが
その幾つかをちょっとご紹介しますね^^
「流」
「流(ながれ)」は、博多祇園山笠のグループ単位のことですが
この流が誕生したのは
豊臣秀吉の「太閣町割り」(1587年)に由来すると言われています。
島津義久によって焼け野原になった博多を復興する目的で
豊臣秀吉は、博多の町をいくつかの区画に分けました。
この区画のことを流と呼び
中洲流・東流・西流・恵比須流・大黒流・千代流・土居流の7流が
残っています。
山笠
博多祇園山笠の山笠は
お祭りの山車神輿の意味と同じです。
人形を飾った背の高い飾り山笠は
電線に引っかかったりして切断してしまうことから
巡行が行われなくなりました。
こちらがその飾り山笠
↓

その後「舁き(かき)山笠」が代わりに用いられましたが
1964年になると、電線や配線を考慮した
「走る飾り山」が登場し、観る人を楽しませてくれます。
こちらがその舁き山
↓

舁き山笠も、飾り山笠に負けず劣らず
効果絢爛な山笠です。
独特の衣装を身につけた
舁き手と呼ばれる男性の集団が
流別に舁き山を担ぎ、櫛田神社から博多の町を疾駆します。
これが博多祇園山笠の見どころの一つ
「追い山」というわけです♪
博多祇園山笠の「追い山」について
追い山は、流ごとに舁き手を担ぎ、壮絶な競走を繰り広げるスピード感のある、お祭りのハイライトです。
追い山の由来は江戸時代になります。
1687年のお祭りのこと
土居流が東長寺で休憩をしていると
当時の石堂流(恵比須流)に追い越されました。
これにカチンと来たのか
土居流が後を追い、2つの流れは
追いつき追い越されの激しいレースを繰り広げました。
これを見ていた観客たちは大喜び♪
これが今の追い山の誕生と言われています^^
興味深いエピソードですね。
追い山が始まる前は
京都の祇園祭のようにしっとりと練り歩いていたようですが
今からは全く想像できませんね(笑)
おお~!
迫力あります。
お祭りのダイナミックさが伝わってきますね。
威勢のいいところが好きです。
追い山は
午前4時59分の太鼓を合図に
5分毎に7基が、祝い唄を唱和しながら
ゴールを目指して走っていきます。
その距離なんと4キロ!
舁き手は大変そうだけど
それを見せないところがまたすごい。
今年もまた盛り上がりそうですね~。
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